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”何もかも憂鬱な夜に”(著:中村 文則)

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誰しもが子どものころ、「何で生まれてきたんだろう?」「何のために生きてるんだろう?」という疑問を持ったことがあると思う。 その疑問は何時しか小さくなり、それでも時を重ねて大人になっていく中で「何のために仕事してるんだろう?」「自分は何がしたかったんだろう?」そんな問いかけを、再び持ったりする。 いのちと人生は、分けられるものなのか。いのちとして、人として生きていく、その道程は、誰しもに開かれた平等なものなのか。自由とは、何なのか。 施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。   どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。   芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。 この作品には、死刑制度、思春期の問題、大人になった後も悩まされる内面の混沌、芸術に対する想い、希望など、様々な想いが込められている。 解説は、ピースの又吉直樹さん。この解説を読むためだけに、この本を買ったとしても、後悔はさせない。“人間性という岩、それに鍬を立てる行為を文学と云うのだ”―胸が、ふるえた。そんな表現をした人の文章には、たしかに文学が息づいている。 文学は、読むためにある。この文学を通して感ぜられたこころの動き一つ一つは、きっと、ずっと、自分の中に残り続けることだろう。 「文学は、人の苦悩の歴史」と、平野啓一郎さんはつぶやいた。人は、鏡に向き合うかのように、文章の中にある自分を認め、苦しみを受容していくのかもしれない。 何もかも憂鬱な夜を救ってくれたのは、いつだって文学の中に居る貴方だった。有難う。