投稿

12月, 2012の投稿を表示しています

“コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則”(著:フィリップ・コトラー)

イメージ
現代マーケティングの第一人者として名高い、フィリップ・コトラーの久々(?)の著作。 内容をサマリすると、下記の様な内容である。 マーケティング1.0:製品中心のマーケティング(コンセプトはR&D)、マーケティング2.0:消費者志向のマーケティング(コンセプトは差別化)、次いでマーケティング3.0:価値主導のマーケティング(コンセプトは価値)。これが、現代までのマーケティングの遷移。 マーケティング3.0では、価値こそが利益の源泉である故、企業はすべてのステークホルダーに向けて一気通貫したビジョンを発信し、優れたコア・バリューを大切にすべき。 マーケティング3.0の要素とは、次の3つ。(1)ある企業が他企業や株主、チャネルパートナー、社員、消費者と協働する「協働マーケティング」、(2)テクノロジー化とグローバル化が引き起こす世界規模の文化的な課題をビジネスモデルの中心に据える「文化マーケティング」、(3)企業の理念と事業の妥当性、将来のビジョンが消費者にどのような影響を与えるかという視点を取り入れる「スピリチュアルマーケティング」―これらのバランスを適正に保ったマーケティング活動こそが、マーケティング3.0のあるべき姿なのだ。 さらにコトラーは、国連ミレニアム開発目標を例に挙げ、CSRとマーケティングを融合させること(=コーズ・マーケティング)がマーケティング3.0時代の処方箋になる、といった趣旨の発言をしている。国連ミレニアム開発目標とは、2009年9月の国連サミットで189ヶ国の代表が合意した下記8つの目標とターゲットのことを指す。 極度の貧困と飢餓の撲滅 普遍的初等教育の達成 ジェンダーの平等と女性の地位向上 乳幼児死亡率の削減 妊産婦の健康の改善 HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止 環境の持続可能性の確保 開発のためのグローバル・パートナーシップの推進 煎じ詰めれば、本書では「企業の存在理由と存在目的を体現する企業活動を継続させるべき」という、精神論に近い内容を提唱しているに過ぎない。だが、この提言の背景には、現代はそのような企業活動を求められる時代であり、また各企業のふるまいを消費者が簡単に知りえる時代となったことが挙げられる。悪いことをしていれば直ぐに糾弾される一方で、良いことをしていれば共感

”ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか”(著:中山 淳雄)

イメージ
著者は、元DeNA社員。経歴は、東京大学を卒業後、(株)リクルートスタッフィング、(株)DeNAを経て、現在デロイトトーマツコンサルティングにて就労中。本書は、彼がMBA留学をしていた際にまとめられた書である。 本書では、筆者の個人的な考察が、パブリックな二次統計データ(官公庁出自のデータ、ネットの歴史、市場規模・各企業の売上高・ARPUなど)を根拠に簡潔にまとめられているので、とても分かりやすくソーシャルゲーム界隈が表現されているように思う。関係者やゲームをする人でなくとも、表題の問いに対する理解を大いに深められる良書だ。個人的には、2012年のスゴ本の一つに挙げたいぐらいである。 内容をサマリすると、下記の様な内容である。 ソーシャルゲームとは、久々の日本独自の新産業であり、ソーシャルゲームの仕組みを他産業に応用する価値のある成功事例である。 ソーシャルゲームビジネスのフレームワークは、緻密なUXDと数理モデルで人間心理を把握しようとするものである。 ソーシャルゲームの成功方程式とは次の3つ。「人を集め力(クチコミ、フリーミアム)」「人を熱狂させる力(自己忘却→自己顕示→自他倒錯)」「熱狂をお金に変える力(偶然性、課金プレミアムシート)」。特に、「熱狂をお金に変える力」こそがこれまでのSNSに欠けていたものであり、学術的な数理モデルを駆使した継続的なPDCA作業の賜物である。 というお話。 我が国では、この10年で雇用者・賃金共に増えた産業は「情報・通信」のみ、という状況。消費者支出項目の変化を見ても、教育費・自動車などの購入が減少する一方、「通信費」だけが継続的に上昇している。さらに2010年からは、その「通信費」がもっとも支出の大きな費用となってきている。 ここで、筆者作成のグラフを見て、『まるで、一般家庭の教育費が、通信費(=ソーシャルゲーム?)に充てられている様だ』という印象を持ったのは、僕だけではないだろう。 本書のハイライトは、p172の“SGユーザー分類と成長曲線”だろう。ユーザーの体験と状態を、主体的/相対的、対プレーヤー/対ゲーム世界という2軸で整理・マトリックスにスポットした図だ。これは、とても分かりやすく、また人間の社会的欲求に則した内容であるように思われた。 無論、デジタルな素養の普及が行き渡り、スマー

25歳のころの話

“自ら歩んできた道のそこら中に散りばめられた “点”を星座の様に繋ぎ、そこにもっと素晴らしいはずの自分を探すだけの価値はあるはずだと思いたい。これだけのネガティブな資質とシンメトリーを成すようなポジティブな資質を、このパーソナリティが未だ有しているはずだと。歪なコンプレックスに因る影は、何時か人をあざやかに光輝かせるコントラストを付けてくれるはずだと。 自己同一性とは、人が生きるために自分の“点”を自由に線で繋いだりほどいたりしながら、暫定的に、刹那的に作られ続ける資質のことだと僕は思ってます。 そして、今、僕だけに見えている星座の星たちには、いつか素敵な自分になるための、僕の切なる願いが込められているのです。” そんなことを、昔の自分は思っていたのだな。今は、どうなんだろう。

2012年について

今年も終わりですね、という訳でブログを立ち上げた。