”ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか”(著:中山 淳雄)
著者は、元DeNA社員。経歴は、東京大学を卒業後、(株)リクルートスタッフィング、(株)DeNAを経て、現在デロイトトーマツコンサルティングにて就労中。本書は、彼がMBA留学をしていた際にまとめられた書である。
本書では、筆者の個人的な考察が、パブリックな二次統計データ(官公庁出自のデータ、ネットの歴史、市場規模・各企業の売上高・ARPUなど)を根拠に簡潔にまとめられているので、とても分かりやすくソーシャルゲーム界隈が表現されているように思う。関係者やゲームをする人でなくとも、表題の問いに対する理解を大いに深められる良書だ。個人的には、2012年のスゴ本の一つに挙げたいぐらいである。
内容をサマリすると、下記の様な内容である。
我が国では、この10年で雇用者・賃金共に増えた産業は「情報・通信」のみ、という状況。消費者支出項目の変化を見ても、教育費・自動車などの購入が減少する一方、「通信費」だけが継続的に上昇している。さらに2010年からは、その「通信費」がもっとも支出の大きな費用となってきている。
ここで、筆者作成のグラフを見て、『まるで、一般家庭の教育費が、通信費(=ソーシャルゲーム?)に充てられている様だ』という印象を持ったのは、僕だけではないだろう。
本書のハイライトは、p172の“SGユーザー分類と成長曲線”だろう。ユーザーの体験と状態を、主体的/相対的、対プレーヤー/対ゲーム世界という2軸で整理・マトリックスにスポットした図だ。これは、とても分かりやすく、また人間の社会的欲求に則した内容であるように思われた。
無論、デジタルな素養の普及が行き渡り、スマートフォンという新デバイスの台頭が通信費への支出を押し上げている背景もあるだろう。が、家庭の教育費への支出が、両親(さらには子ども?)の娯楽に充てられてしまっているとしたら?いくら我が国が擁する期待の成功事例であっても、次世代の心情を察すれば流石に納得のいかない話であるように思う。
この国を興すため、一番求められているのは何より「教育」だと。僕は、信じてやまない。
ソーシャルゲームについて、僕の個人的な見方をここに記す。世の中には、「高学歴の有望な人材を吸収し使い果たす虚業」「パチンコの様な産業そのものが凶悪」と、ある意味ヒステリックな感情を隠しもしない人たちがいることは分かっている。先述のような印象を(何となくではあるが)感じていた僕も、その一人だった。しかし、その一方で本書を読んだ後には、筆者の「ソーシャルゲームの仕組みを他産業に応用すべき」という主張に同意し、また共感するところもあった。
それでは、一体どんな産業に応用されるべきなのか?という問いが残る。ソーシャルゲームの未来は「教育」であるべき、というか、「教育」しか考えられない。それだけ、教育への投資がゲームに充てられているだろうことへの嫌悪感と危機感が、僕には風邪のひき始めに感ぜられるリンパ節のしこりのように不快に思われるからだ。
学問・道徳・芸術の追求目標を失った社会に、豊かな未来はない。少なくとも、その内の一つをソーシャルゲームは喰い潰そうとしているのではないか。たとい、ソーシャルゲーム事業主各社の本意でないとしても、データのトレンドは事実を表している。このような不道徳を許したまま、彼らの事業を拡大せしめることは、納得のいかないことのように思う。
ソーシャルゲームの仕組みと、そのノウハウは、他の既存産業にとっても次世代にとっても、一刻も早く他産業に応用されることが待たれている。
【NOTE】
本書では、筆者の個人的な考察が、パブリックな二次統計データ(官公庁出自のデータ、ネットの歴史、市場規模・各企業の売上高・ARPUなど)を根拠に簡潔にまとめられているので、とても分かりやすくソーシャルゲーム界隈が表現されているように思う。関係者やゲームをする人でなくとも、表題の問いに対する理解を大いに深められる良書だ。個人的には、2012年のスゴ本の一つに挙げたいぐらいである。
内容をサマリすると、下記の様な内容である。
- ソーシャルゲームとは、久々の日本独自の新産業であり、ソーシャルゲームの仕組みを他産業に応用する価値のある成功事例である。
- ソーシャルゲームビジネスのフレームワークは、緻密なUXDと数理モデルで人間心理を把握しようとするものである。
- ソーシャルゲームの成功方程式とは次の3つ。「人を集め力(クチコミ、フリーミアム)」「人を熱狂させる力(自己忘却→自己顕示→自他倒錯)」「熱狂をお金に変える力(偶然性、課金プレミアムシート)」。特に、「熱狂をお金に変える力」こそがこれまでのSNSに欠けていたものであり、学術的な数理モデルを駆使した継続的なPDCA作業の賜物である。
我が国では、この10年で雇用者・賃金共に増えた産業は「情報・通信」のみ、という状況。消費者支出項目の変化を見ても、教育費・自動車などの購入が減少する一方、「通信費」だけが継続的に上昇している。さらに2010年からは、その「通信費」がもっとも支出の大きな費用となってきている。
ここで、筆者作成のグラフを見て、『まるで、一般家庭の教育費が、通信費(=ソーシャルゲーム?)に充てられている様だ』という印象を持ったのは、僕だけではないだろう。
本書のハイライトは、p172の“SGユーザー分類と成長曲線”だろう。ユーザーの体験と状態を、主体的/相対的、対プレーヤー/対ゲーム世界という2軸で整理・マトリックスにスポットした図だ。これは、とても分かりやすく、また人間の社会的欲求に則した内容であるように思われた。
無論、デジタルな素養の普及が行き渡り、スマートフォンという新デバイスの台頭が通信費への支出を押し上げている背景もあるだろう。が、家庭の教育費への支出が、両親(さらには子ども?)の娯楽に充てられてしまっているとしたら?いくら我が国が擁する期待の成功事例であっても、次世代の心情を察すれば流石に納得のいかない話であるように思う。
この国を興すため、一番求められているのは何より「教育」だと。僕は、信じてやまない。
ソーシャルゲームについて、僕の個人的な見方をここに記す。世の中には、「高学歴の有望な人材を吸収し使い果たす虚業」「パチンコの様な産業そのものが凶悪」と、ある意味ヒステリックな感情を隠しもしない人たちがいることは分かっている。先述のような印象を(何となくではあるが)感じていた僕も、その一人だった。しかし、その一方で本書を読んだ後には、筆者の「ソーシャルゲームの仕組みを他産業に応用すべき」という主張に同意し、また共感するところもあった。
それでは、一体どんな産業に応用されるべきなのか?という問いが残る。ソーシャルゲームの未来は「教育」であるべき、というか、「教育」しか考えられない。それだけ、教育への投資がゲームに充てられているだろうことへの嫌悪感と危機感が、僕には風邪のひき始めに感ぜられるリンパ節のしこりのように不快に思われるからだ。
学問・道徳・芸術の追求目標を失った社会に、豊かな未来はない。少なくとも、その内の一つをソーシャルゲームは喰い潰そうとしているのではないか。たとい、ソーシャルゲーム事業主各社の本意でないとしても、データのトレンドは事実を表している。このような不道徳を許したまま、彼らの事業を拡大せしめることは、納得のいかないことのように思う。
ソーシャルゲームの仕組みと、そのノウハウは、他の既存産業にとっても次世代にとっても、一刻も早く他産業に応用されることが待たれている。
【NOTE】
- p16:2012年は、DeNA(およそ1,000GRP)・GREE(およそ2,500GRP)が、テレビCMの広告出稿枠の1,2位を占めた。
- p24:“業務別雇用と賃金の変化(日米比較)”米国では、情報、医療・ヘルスケア、レジャー・ホスピタリティであっても雇用増・賃金増を実現。
- p50:マイケル・ポーター氏は、「日本における一般的には競争力を持たない部門の例外的な成功事例」として醤油、ゲームソフトを挙げた(出典:『日本の経営戦略』)。
- p58:“消費者支出項目の変化”教育費、自動車等購入は減少トレンド。理美容品は現状維持。通信費だけが継続的に上昇トレンド。
- p66:筆者たちは、ソーシャルゲームの体験イメージを事細かに想定・UXDの仮説検証に生かしていたと思われる。
- p69:仮に、ライトユーザー(月課金1,000円未満)、ミドルユーザー(月課金5,000円以下)、ヘビーユーザー(月課金5,000円以上):30代、40代、外れ値(一日で数十万円課金など)とユーザーをセグメンテーション。各セグメントの体験イメージ(=「消費リアリティ」)を考えることが大切。
- p86:ロジェ・カイヨワによる「遊び」の分類を改変した、ルールの有無と成長ステップの有無でマトリックスを作成・プロットした。
- p98:継続的に月10億円の売上をもつタイトルは5~10.海外では2,3タイトルぐらい。
- p142:日本のWebプラットフォームビジネスの事例として、m3、SMS、ウィメンズパークを挙げた。
- p152:(DeNAに欲しい人材は)多変量解析によって要素の重点抽出できる人間、モンテカルロ解析を使った無数の乱数シミュレーションで確率的問題を解答に導ける人間。
- p170:マイケル・H・ゴールドハーバー氏の関心経済。情報量がテラ領域にまで肥大している反面、我々自身が「何かを見ることができる」視線量の限界は広がっていない。そうすると、相対的に「人が関心・興味を払っていること」自体の価値が上がっていく、というロジック。
- p186:製造業のように「モノ」が価値をもつのが第二次産業、小売・不動産・医療・教育のように販売者である「人」がモノやサービスに付加価値をつける第三次産業、IT技術を使って「情報」が付加価値をつけるのが第四次産業と定義すると、今回のソーシャルに関わるサービスは、「関係性(コミュニティ)」が付加価値を生む第五次産業と定義することができる。