生きるということ、生きたということ

小児医療における終末期、というテーマはなかなか語られない。単純に母数が少ない、ということもあるけれど、やはり当事者が表に出るということを大衆にまで一般化して語るということに消極的になってしまうというのが大きいのだろう。

僕だって、「貴方が我が子を亡くしたとしたら、自分の体験を誰に向けて、どこまでお話できるのか?」と問われると、参ってしまう。無論、しかしそれでも僕が当事者のそばで仕事をしている限り、”彼らの声は大切だ””中心にあるのはユーザーの切実なニーズだ”と話したり、彼らにお話を伺いにいったりとすることの毎日だ。

けれど、どんなに共感を持って向き合っていても、どうしても、どこかで後ろめたさを感じてしまう。

悲しい出来事を聴く度。じゃあ自分はどうなんだ、つらい気持ちの人がそばにいるのに何をしているんだ、そんな気持ちになる。知らず知らずの内に、追い込まれる。





生きている、その重さは。生きた人々によって齎されるのかもしれない。

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