守らなければならない想いのひとつひとつ

難病の下に生まれ、奇跡の下に救われ、そしていのちはつづく。話せない、食べれない、歩けない―そんないのちであっても、自らの人生を自ら歩む道があってほしいと、僕は願っている。

生きられる長さはちがっても、同じ時代に生まれたいのちが同じ時をすごす思い出を作っていく権利があるのだということを、僕は信じている。

子どもの生命を保つための絶え間ない介護の中、保護者に齎されるひとひらの休息が、置いてけぼりの親子の時間、きょうだいの時間、そして家族の時間を連れ戻してくるきっかけになってほしいと、僕は願っている。

次世代を育むのは、親だけではなく、いのちのきょうだいとしての総ての人間が果たす責任であり義務なのだというセリフを、僕は独りでに繰り返している。

「生きてて良かった」―そう思う瞬間は、一つでも多い方が良いに決まってんだ。そんな思い出が、どんなに短いいのちであっても今を生きる貴方のそばにあってほしいと、僕は祈っている。





これらこそが、僕が守らなければならない想いのひとつひとつだ。





だからこそ僕は、この仕事を成就させなければならないのだ。

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