少しは自分と向き合うことになると願って
1.自分の仕事を”点”で終わらせないようにする
一つ一つの仕事を、作業タスクとして消費するのではなく。目的意識を持って取り組んでいきたい。
何をアタリマエのことを。と言われるかもしれないが、一つ一つの仕事の重さが想像している以上に重たいという事実に気付き出している。一度きりの人生、とよく言うが、しかし真に一度きりだと考えて仕事を取り組む姿勢はなかなかあるもんじゃない。条件反射で打ち返せるメールはそれとしても、条件反射で考えたアイデアには深みも面白味もあったもんじゃない。
正直、その場凌ぎが上手くなった、という実感がある。一方で、中長期的なインパクトの大きさや自分の成長の様なものについて興味が無くなってきている気もする。
世の中に向けられるべきインパクトの大きさ―これを考えるには、仕事を“点”ではなく、“線”で捉える姿勢と見せ方が重要だと考える。
PJTベースで仕事をするコンサルティング・ファームの人間は、「その場凌ぎ」は巧いけれど「中長期的な計画の推進」は不得手、という論文をHBSで読んだ記憶がある(中長期的というのは、5年以上の期間を指す)。そうしたところに意識を向かわせることに興味のないことが多い、という環境的な理由が、その人の苦手意識にまで浸透してしまうのだろうけど。知らず知らずのうちに苦手意識を持たぬよう、気を付けたいところではある。
また、自己成長だとかキャリアパスだとかを考える、という思想は、これまでの自分にはさほど無かったが、しかし僕の“創造的な10年”は動き出してしまっている。
昨日、「自分のキャリアパスを、御自身ではどう考えているの?」と聞かれ、「この国の医療機関に”子どもホスピス”と呼ばれる施設を、ひとつでも多く作れるようなケースを残すためなら、どんなパスであっても問題はない」と即答した。
であれば、この国の次世代のいのちの為、目指すべき姿の在り方を想像しながら仕事に従事すべきだ。
2.目的に向かう“装置”を作り出す
先述の内容につながる話ではあるのだが。何分、すべての仕事に社会的意義があり、全力で尽くす必要のある時間をすごす毎日である。本業であってもプロボノであっても、兎に角ひとりでに突っ込んでいってしまいがちだ。
しかし、人一人でできることなんて限られている。人間は、その人の人格以上の仕事はできない。これは直観として、そう想う。
それでも大きなことを成し遂げようとした時に、必要な“装置”を作り出すことが求められる。“装置”とは、時代であり、組織であり、ビジネスであり、学問であり、芸術だ。“装置”を動かす仕組みを作ることで、人は人格を超えた営みを手に入れる。
自分がその総てを作れないとしても、その装置の設計図を考えたり、自ら部品になることはできる。足りない考えは他の人の思考を借りれば良いし、足りない部品は調達すれば良い。
「自分はこういうベクトルで目的に向かう」ということを、他者に表明すること。これができないと、“装置”の完成像は輪郭を無くしていってしまう。そして何より、誰も手助けのしようもないままで、そのまま倒れてしまいかねない。
僕は起業家ではないけれど、事業を視る姿勢は持っている。僕は学者ではないけれど、学問を視る姿勢は持っている。僕は芸術家ではないけれど、芸術を生み出せる人が周りに何人もいる。これが、これからの僕の仕事の大きなアドバンテージだと。沁みるほどに、そう思っている。
自分だけががんばれば良いことは、今まで以上に自分を出し切る。自分じゃなく、他の人を活かさなければ動かないことは、今まで以上にその人の気持ちを慮る。それは、話を聴く姿勢、あってこそだ。
こうしたテーマに、今後は全体観を持って取り組むべきだ。
3.自分の仕事を他人の仕事に標準化することを目指す
となると、自分じゃなくとも良い仕事は、組織的に取り組めるよう標準化することが求められるだろう。現在、昨年の仕事の内で標準化・マニュアル化に取り組んでいる分量はもっと減らせると考えている。それだけ、効率的でないワークスタイルでいるということは早目に抜け出すべき状況だ。
標準化をする、という時に、「そもそも、これは機械で代替できないのか?」「そもそも、自分の手を動かさない手法があるのではないか?」という問い掛けで見つめ直すべき時間がある。それを見逃さないようにしたい。
「誰かがいなければ回らない仕事」などというものは、そもそも仕事の定義を誤って理解していることに気付くべきだ。機能を分担して、自律的に継続する仕組みがなければ、“装置”は動かないのだから。
4.時間の使い方にコントラストを付けていく
これはイメージの問題で、要はメリハリ、ということ。だらだらとデスクトップに向き合うぐらいなら、読み掛けの小説を少しでも読みすすめた方が良い時間になると思う。
ただ、コントラストを付けると言っても、今はずっと仕事のことを考えている。
テクニック的には、ポモドーロを再度、導入した方が良いだろうか。Google Chromeの機能を見直して、時間対効果を追求することに欲求を持った方が良いと思う。
その他、京大式ノートの様にGmailを使用して、一つの考えを一葉のメールに載せて自分に送る、という習慣を続ける。これによって、知的生産の技術の修練を継続する。
ただ、コントラストを付けると言っても、今はずっと仕事のことを考えている。
テクニック的には、ポモドーロを再度、導入した方が良いだろうか。Google Chromeの機能を見直して、時間対効果を追求することに欲求を持った方が良いと思う。
その他、京大式ノートの様にGmailを使用して、一つの考えを一葉のメールに載せて自分に送る、という習慣を続ける。これによって、知的生産の技術の修練を継続する。
5.何が新しいのか、何が衝撃的なのか、自分がどうしたいのかを込めた仕事をする
学術研究であれば、新規性だの革新性だのという詞には(辟易するぐらいに)言われ続けるものだが。現在の本業では、一度自分の中でフレームワークっぽいものとして事象を理解してしまうと、その後のアイデアが使い古された感のあるものばかりになりがちだ。
inputがあり、outputがある。良いinputがあれば、良いputputができる。そんなことはアタリマエだ。どんなinputであっても、良いoutputにつなげていく、そのために仮説を一つでも多く思い付くようにしておきたい。
特段、クリティカルな仮説でなくとも良い。数を重視したい。そして、自分自身が驚くぐらいに愉しくなってしまうような、そんなアイデアと付き合っていけるだけの刺激を探し続けていたい。