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another life.は何故面白いのか?

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何事も、探究することが大切―ということで。ポストは、「どういった質問をすれば、こうした記事が書けるのだろう?」ということを考えながら書いた。箇条書きで殴り書きスタイル。 ■いかに掘り下げられるか?という“縦”の発想に基づく質問 成育歴・学歴 ・経歴 を時系列で聴く これがanother life.の普遍的な手法。どこから遡るべきかはケースバイケースかもしれない。一つ一つの見出し区切りで語られる内容は下記の通り。 生い立ち~何らかの仕事を目指す切っ掛け 仕事に就くまで/ある成果・挫折を味わうまでの経緯 価値観を変える水準の大きな影響力との出遭い・原体験 現在の仕事とプライヴェート 今後の展望 “Why, so?”“So, what?”を聴く その人独自の価値観、その背景にある原体験、その現状への評価まで掘り下げた取材とするために不可欠な質問だろう。下記のような質問を、another life.の記者はしているのではないだろうか。 「何故、そうした(そう考えた)のですか?」 「何故、こうしなかったのですか?」 「今ならどうすべきだと思われますか?」 「すると、どうなったのですか?」 「そこで、どう思われたのですか?」 少年少女時代に触れた芸術・文化についての想い出を聴く R25なんかでも小さいコラム的なスペースを使って「25歳のころの自分に欠かせないものは?」みたいな質問で2つ、素材を挙げてもらっている。 推薦図書を聴く これは人によるが、ビジネスパーソン/サラリーマン世代については効果のある質問だろう。読み手の行動喚起にもつながるかもしれない。 ■いかに立体的に見せられるか?という“横”の発想に基づく質問 様々なシーンでの自分について自己紹介をお願いする 立場的性格というか、分人というか。いろんな表情を「時間」「空間」「情動」などで区切って聴く。 仕事のときの(オンタイムの)自分 職場にいるとき/同僚といるときの自分 出張/交渉するときの自分 プライヴェートのときの(オフタイムの)自分 子どもといるとき(保護者として)の自分 家族といるときの自分 友人といるときの自分 きょうだいといるときの自分 父親・

”何もかも憂鬱な夜に”(著:中村 文則)

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誰しもが子どものころ、「何で生まれてきたんだろう?」「何のために生きてるんだろう?」という疑問を持ったことがあると思う。 その疑問は何時しか小さくなり、それでも時を重ねて大人になっていく中で「何のために仕事してるんだろう?」「自分は何がしたかったんだろう?」そんな問いかけを、再び持ったりする。 いのちと人生は、分けられるものなのか。いのちとして、人として生きていく、その道程は、誰しもに開かれた平等なものなのか。自由とは、何なのか。 施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。   どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。   芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。 この作品には、死刑制度、思春期の問題、大人になった後も悩まされる内面の混沌、芸術に対する想い、希望など、様々な想いが込められている。 解説は、ピースの又吉直樹さん。この解説を読むためだけに、この本を買ったとしても、後悔はさせない。“人間性という岩、それに鍬を立てる行為を文学と云うのだ”―胸が、ふるえた。そんな表現をした人の文章には、たしかに文学が息づいている。 文学は、読むためにある。この文学を通して感ぜられたこころの動き一つ一つは、きっと、ずっと、自分の中に残り続けることだろう。 「文学は、人の苦悩の歴史」と、平野啓一郎さんはつぶやいた。人は、鏡に向き合うかのように、文章の中にある自分を認め、苦しみを受容していくのかもしれない。 何もかも憂鬱な夜を救ってくれたのは、いつだって文学の中に居る貴方だった。有難う。

薄汚い

“○○ちゃんの心臓移植のために2億円必要です。” ”6秒に1人。今また、小さな命が消える。” ”月500円の寄付でできる野生生物の保護。” ”1人30円のワクチンで救える命があります。” だまってビッグイシューを空にかかげるホームレス いろいろな視点からのいろいろな考えと情動が、自分の正しさの綻びを無かったものにしようとする。自分の中の、こういう欲求こそが、薄汚いと思う。

少しは自分と向き合うことになると願って

1.自分の仕事を”点”で終わらせないようにする 一つ一つの仕事を、作業タスクとして消費するのではなく。目的意識を持って取り組んでいきたい。 何をアタリマエのことを。と言われるかもしれないが、一つ一つの仕事の重さが想像している以上に重たいという事実に気付き出している。一度きりの人生、とよく言うが、しかし真に一度きりだと考えて仕事を取り組む姿勢はなかなかあるもんじゃない。条件反射で打ち返せるメールはそれとしても、条件反射で考えたアイデアには深みも面白味もあったもんじゃない。 正直、その場凌ぎが上手くなった、という実感がある。一方で、中長期的なインパクトの大きさや自分の成長の様なものについて興味が無くなってきている気もする。 世の中に向けられるべきインパクトの大きさ―これを考えるには、仕事を“点”ではなく、“線”で捉える姿勢と見せ方が重要だと考える。 PJTベースで仕事をするコンサルティング・ファームの人間は、「その場凌ぎ」は巧いけれど「中長期的な計画の推進」は不得手、という論文をHBSで読んだ記憶がある(中長期的というのは、5年以上の期間を指す)。そうしたところに意識を向かわせることに興味のないことが多い、という環境的な理由が、その人の苦手意識にまで浸透してしまうのだろうけど。知らず知らずのうちに苦手意識を持たぬよう、気を付けたいところではある。 また、自己成長だとかキャリアパスだとかを考える、という思想は、これまでの自分にはさほど無かったが、しかし僕の“創造的な10年”は動き出してしまっている。 昨日、「自分のキャリアパスを、御自身ではどう考えているの?」と聞かれ、「この国の医療機関に”子どもホスピス”と呼ばれる施設を、ひとつでも多く作れるようなケースを残すためなら、どんなパスであっても問題はない」と即答した。 であれば、この国の次世代のいのちの為、目指すべき姿の在り方を想像しながら仕事に従事すべきだ。 2.目的に向かう“装置”を作り出す 先述の内容につながる話ではあるのだが。何分、すべての仕事に社会的意義があり、全力で尽くす必要のある時間をすごす毎日である。本業であってもプロボノであっても、兎に角ひとりでに突っ込んでいってしまいがちだ。 しかし、人一人でできることなんて限られて

守らなければならない想いのひとつひとつ

難病の下に生まれ、奇跡の下に救われ、そしていのちはつづく。話せない、食べれない、歩けない―そんないのちであっても、自らの人生を自ら歩む道があってほしいと、僕は願っている。 生きられる長さはちがっても、同じ時代に生まれたいのちが同じ時をすごす思い出を作っていく権利があるのだということを、僕は信じている。 子どもの生命を保つための絶え間ない介護の中、保護者に齎されるひとひらの休息が、置いてけぼりの親子の時間、きょうだいの時間、そして家族の時間を連れ戻してくるきっかけになってほしいと、僕は願っている。 次世代を育むのは、親だけではなく、いのちのきょうだいとしての総ての人間が果たす責任であり義務なのだというセリフを、僕は独りでに繰り返している。 「生きてて良かった」―そう思う瞬間は、一つでも多い方が良いに決まってんだ。そんな思い出が、どんなに短いいのちであっても今を生きる貴方のそばにあってほしいと、僕は祈っている。 これらこそが、僕が守らなければならない想いのひとつひとつだ。 だからこそ僕は、この仕事を成就させなければならないのだ。

生きるということ、生きたということ

小児医療における終末期、というテーマはなかなか語られない。単純に母数が少ない、ということもあるけれど、やはり当事者が表に出るということを大衆にまで一般化して語るということに消極的になってしまうというのが大きいのだろう。 僕だって、「貴方が我が子を亡くしたとしたら、自分の体験を誰に向けて、どこまでお話できるのか?」と問われると、参ってしまう。無論、しかしそれでも僕が当事者のそばで仕事をしている限り、”彼らの声は大切だ””中心にあるのはユーザーの切実なニーズだ”と話したり、彼らにお話を伺いにいったりとすることの毎日だ。 けれど、どんなに共感を持って向き合っていても、どうしても、どこかで後ろめたさを感じてしまう。 悲しい出来事を聴く度。じゃあ自分はどうなんだ、つらい気持ちの人がそばにいるのに何をしているんだ、そんな気持ちになる。知らず知らずの内に、追い込まれる。 生きている、その重さは。生きた人々によって齎されるのかもしれない。

想い出は、雪になって

何というか―自分の人生の存在意義を、少しは塗りかえられるかな、と思っていた。ぶっちゃけ。でも、知った責任とか見た責任とか繋がりを持った責任とか、そういうのがドミノ倒しの様に続けておとずれて。正直、抜け出せなくなった、というか。そんなところだ。 初めは、興味本位だったんだと、思う。自分の知らない世界が広がっている、ただそれだけで、僕はこの上なくシアワセなのだ。でも、知った先が一寸だけ運悪かったんだよね、たぶん。いや、ラッキーだったのかもしれない。 自分の人生を生きることなく、他人の人生を生きている人は、この国にたくさんいる。依存でなく、ほんとうにその人の支えに成り続けて、生きている人たちが。「普通の人って、どう生きているんだろうね―」重症心身障害児の息子を持って、10年という歳月を奉げた後にその子を亡くした夫婦の詞だ。僕には、想像も付かない。 自分の人生って、なんだろうね。自由って、なんだろうね。自己責任、自業自得、そんな話で片づけられるものなのかね、人のいのちってやつは。 仕事は、すればするほどに、重たい。テーマも、量も、質も。それは「仕事は、できる人のところにあつまる」とかではなく、「仕事は、話を聴いてしまった人のところにあつまる」のだと、最近分かった。 申し訳ないけど、僕が奉仕したいと思うのは、自分自身が満たされているからなのだ。それが絶対条件で、だから仕事だって寄付だってする。でも、そんな気持ちは余裕からしか出てこない。だから、救急医療に従事する医療従事者とは、正反対だと考えている。 そもそも、生きるなんてものは、元来苦しいもので。それを僕らは、寝食・人のつながり・その他で覆い隠しているだけなんじゃないのか。そんな気がしている。だって、こんなにしんどい生活を続けている人が、こんなにいるんだぜ。 誰かが亡くなっても、僕が怠けても、知らない景色は続く。出遭いの先にあったはずの繋がりは、幻のように見えるだけだ。 すべては、想い出になっていくばかり。過ぎ去っていく時間のすべては、僕の人生の限界にすぎない。 想い出は、雪になって 降り積もる。亡くなった 彼のことも、きっと。