わたしを離さないで(著:カズオ・イシグロ)

読後感は、不思議なものだった。評判で、泣ける、という声を聴いた。僕は、全然涙をもよおさなかった。衝撃を受ける、という声を聴いた。僕は、そのストーリー設定にも展開にも(結末にすら)共感することが無かった。

それでも物語の中に登場する“Never Let Me Go”、“Lost Corner”という記号が、読み深めていくにつれて魅せる色彩を幾重にも姿かえてゆく様は、深々とこころに残った。

たとえばそれは、詩の詞としての 「わたしを離さないで」であり、 友人たちに向けられた「わたしを離さないで」であり、時と共に変わりゆく新たな価値観と古い倫理観に向けられた 「わたしを離さないで」であり、 自分たちの「親(ポシブル)」 への「わたしを離さないで」であるのだと。

彼らの「忘れもの」とは、各々がそれぞれの青春と生きがいを感ぜられていただろうヘールシャムでの一瞬々々だったのではないだろうか。そして、大人になるにつれて置き忘れていった「忘れもの置き場」は、永遠にこの世にはない幻の場所であるかのように消え失せてしまうのだ。

最終的に、主人公たちには“逃げる”という選択肢を取ることはなかった。いや、そもそも“逃げる”ことを選んだ先のその未来を想像することすら、無かったのだろうと思う。それは、人間とはそもそも・・・というぐらい、普通のことなのではないだろうか。各々が、それぞれの人生の『普通』の中で生き、死んでいく。その運命を受容した者たちだからこその在り方だったのだと。僕は、思う。

この本を読み終えた日の午後、国内で4例目の6歳未満の脳死ドナーについて臓器移植手術が為されるとのニュースが流れた。まだ幼い我が子を脳死で亡くし、目の前で動き続ける心臓とたしかな体温を認めながら、誰かのために我が子の身体の一部を渡すという決断をされたご両親に思いをはせる。人が人を想う気持ち、自分たちだけの小さな想い出、そこにあったはずの未来。

私たちのこの選択が、誰かの希望になり、そして誰かの幸せの妨げにならないよう、また私たちの決断をどうか静かに受け入れていただけるよう、願う次第です。

尊いのは、命そのものだけではないのだと、信じている。

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