盲学校のK君
何の意義を求めてのことか、はっきりとした背景を理解している訳ではないが―僕の地元の小学校・中学校では、ある期間限定で盲学校の子と共に授業を受け、生活するという出来事があった。
彼を、K君という。
内向的で内罰的な人格で、気心の知れた仲間としかさほど話さない少年だった僕は、何故か彼と気が合った。
小学校のころ、「K君をエスコートしてくれる人?」という呼びかけに何故か僕は挙手で答え、中学校のころも同様に自分のクラスに偶然再び入ることとなった彼を、僕は下駄箱まで迎えに行ってクラスまでエスコートした。中学校では1年生のころだったと記憶している。
彼は、完全に目の見えない全盲で、健常者である僕の腕をつかんでのみ階段を昇り降りした。無論、彼の読む文字は点字で、彼の教科書と僕らの教科書には“目に見えて分かる”差異が、そこにあった。
ある日、点字を学ぶという授業があった。クラスの皆で点字の基本的な書き方を学び、思い思いの文章を点字で書いてK君に読んでもらう、というものだった。
僕は、ある天気予報番組のテーマ曲の詩を書いた。その詩は、点字では普通の平仮名よりも難しいとされる濁音・半濁音、小文字といった文字がふんだんに含まれており、なかなか骨の折れる作業ではあった。
ただ、「これを点字で書き切って、彼に読んでもらえたら、きっと面白がってくれる」という想いがあった。
僕は、授業終了ギリギリにそれを書き上げ、彼に持っていった。K君は、嬉しそうに声に出して読んでくれた。笑ってくれた。傍にいた彼の母親も、「よく書けたわね」と驚いていた。
彼との交流は、それっきりだ。中学校を出た後、今の彼が何をしているのか。僕は、何も知らない。
それでも、プラットフォームで視覚障害の方が歩いているのを見ると、ふと、K君のことを、思い出したりする。