小人数であっても、尖ったことをしていたい
尖ったこと、というのは、いろんな定義付けがなされると思う。そこには、きっと”シンプルな戦略(著・山梨広一)”に記されたような戦略があるはずだ。
世の中、聴こえや耳触りの良い話は数あれど。それがごく小さな市場を対象にしたものでスケールしなかったり(市場選択での誤算)、差別化が出来ておらず既存ケースの縮小版のような成果しか出せなかったり(ポジショニングでの誤算)、事業化できるだけのリターン――それは経済的なものであっても、精神的な/従業員の内的な動機付けに資するものであっても良いと思う――が小さかったり(ビジネスシステム設計での誤算)・・・という、様々に存在する落とし穴にある戦略に陥ってしまうと、何も続かない。
戦略とは、こうした構成要素の掛け算で成り立つものであり、ビジネスを描くキャンバスには、常に余白が有る。
じゃあ、何もできない、続かない。そんなことばかりかというと、実際何らかの問題を抱えつつも継続している事業は、この世の中にたくさん存在する。その一方で、どんなに大きな予算が付いても、どんなに大勢の人があつまっても、誰にも知られずに、憶えられずに終わっていく事業もたくさん存在する。
人は、描いたビジョンの歯車でしかないのだが、そのビジョンを描くのも、人。尖った思想というものをビジョンにできるところに、人材やお金が集まるのだと思う。
”シンプルな戦略: 戦い方のレベルを上げる実践アプローチ”で書かれた、良い戦略の条件は3Cの視点で語られた。
- 顧客にとってうれしいことかどうか?
- それは他の会社と違うのか?
- 自社は儲かるのか?
深く、長く、続くものを。そして、世の中に広がるものを。