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葬送(著:平野 啓一郎)

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平野啓一郎の文章は、とても叙情的だと思う。それはまるで、人の感情で織り上げたつづれ織りのようなものだ。繊細で心優しいショパンと、自身のコンプレックスに思い悩むドラクロワ。彼らの関係は、まるで互いが互いの光と影のように、時に陰影を逆さにする。 『日蝕』(処女作にして芥川賞受賞作)、『一月物語』に次ぐ“ロマンティック三部作”の最終作であるこの『葬送』は、その表題の通りのシーンで幕を開ける。ピアニストのショパンが結核で39歳の生涯を閉じるまでを、親友である画家のドラクロワとの友情を縦糸に編み上げた歴史小説だ。 どのシーンも、僕の気持ちに迫る何某かを齎した。誰が何と言っても、クライマックスは第二部の冒頭。ショパンの最後のリサイタルの描写ほど美しい文章を、僕は読んだことがない。まるで、時空を超えてそのピアノの奏でる感動を体験しているかのような錯覚をも想い起こさせる。眸に涙を溜めて、しかしそんなひとときが去ってしまうのを惜しみながら読んだ。  因みに、この作品を書き上げた時。作者は僕と同い年だったそうだ。「そうなのかー」と思う。

わたしを離さないで(著:カズオ・イシグロ)

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読後感は、不思議なものだった。評判で、泣ける、という声を聴いた。僕は、全然涙をもよおさなかった。衝撃を受ける、という声を聴いた。僕は、そのストーリー設定にも展開にも(結末にすら)共感することが無かった。 それでも物語の中に登場する“Never Let Me Go”、“Lost Corner”という記号が、読み深めていくにつれて魅せる色彩を幾重にも姿かえてゆく様は、深々とこころに残った。 たとえばそれは、詩の詞としての 「わたしを離さないで」であり、 友人たちに向けられた「わたしを離さないで」であり、時と共に変わりゆく新たな価値観と古い倫理観に向けられた 「わたしを離さないで」であり、 自分たちの「親(ポシブル)」 への「わたしを離さないで」であるのだと。 彼らの「忘れもの」とは、各々がそれぞれの青春と生きがいを感ぜられていただろうヘールシャムでの一瞬々々だったのではないだろうか。そして、大人になるにつれて置き忘れていった「忘れもの置き場」は、永遠にこの世にはない幻の場所であるかのように消え失せてしまうのだ。 最終的に、主人公たちには“逃げる”という選択肢を取ることはなかった。いや、そもそも“逃げる”ことを選んだ先のその未来を想像することすら、無かったのだろうと思う。それは、人間とはそもそも・・・というぐらい、普通のことなのではないだろうか。各々が、それぞれの人生の『普通』の中で生き、死んでいく。その運命を受容した者たちだからこその在り方だったのだと。僕は、思う。 この本を読み終えた日の午後、国内で4例目の6歳未満の脳死ドナーについて臓器移植手術が為されるとのニュースが流れた。まだ幼い我が子を脳死で亡くし、目の前で動き続ける心臓とたしかな体温を認めながら、誰かのために我が子の身体の一部を渡すという決断をされたご両親に思いをはせる。人が人を想う気持ち、自分たちだけの小さな想い出、そこにあったはずの未来。 私たちのこの選択が、誰かの希望になり、そして誰かの幸せの妨げにならないよう、また私たちの決断をどうか静かに受け入れていただけるよう、願う次第です。 尊いのは、命そのものだけではないのだと、信じている。

La La Land (監督:デイミアン・チャゼル)

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ある文章を編集する機会の中でこの作品の話が出たこと、久しぶりの連休らしい連休に時間を取ることにしたので、見たいな、と思うこの作品を見た。 「人生って、こういうファンタジーが有って良いよな」という気分になった。 ハッピーエンドに向かっていくだろう物語の中で、大人になっていく主人公たちの道のりの中にある情景が、ずっと描かれる。ひとりひとりの登場人物にあるべき背景や思想の様なものを丁寧に描いているというよりは、大まかにプロットされたストーリーの中で、困難・クライマックスの瞬間にミュージカルの魔法が掛かる…ということの繰り返し。なので、抒情的な表現は少なく、展開は大雑把な紙芝居のよう。人物の内面が露わになることはさほどなく、何となくの情動の流れを視聴者として補填しているような気さえした。 で、自分も良く聴く菊地成孔さんや映画評論に長けた方々の評価も聴いてはいた。じっさいに見てみて正直、自分のレベルでも、ジャズ、というものを都合良く捉え過ぎている気がした。 この映画のテーマ曲だろう、Mia & Sebastian’s Themeは「映画音楽っぽいな」と思った。この一曲が都度流れる時、曲自体が物語の預言者的役割をして、二人を導いてゆく。この演出には、しびれた。ただし、これは全然ジャズじゃない(ジャズ、というか…曲想はショパンみたいだった)。 また、“死んでいくジャズ”をセブが救出したいと語ったジャズ。これが何かというと、車でも家でも執拗に練習しているセロニアス・モンクの Japanese Folk Songだったりする。お気に入りのジャズクラブ Lighthouse Cafe でミアに聴かせる音楽は、ソロ回しを中心とした音楽で、これはスウィングに近しい。 ジャズといっても時代背景と伝わっただろうメッセージとには、大きな差がある。もちょっと、気を遣って欲しかったな、と思うのだけれど。 ただ、最初に流れるAnother Day Of Sunの素晴らしいこと。僕は、このテーマが一気に気に入って、即Google Playでサウンドトラックを購入した。ジャズとか関係なく、映画音楽としてBGMとして、すんごく良い。作曲の構成としても、そして演奏するプレイヤーの技術のレベルの現れ方も十分に有って。こういう曲に、こうした映像作品を通じて出遭えたことに大

“影響力の武器――なぜ、人は動かされるのか(著・Cialdini,Robert B)”とクラウドファンディング

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初めは「クラウドファンディング徒然草」というタイトルだけ考えて、後は自分で何とか書いてみよう、と思い立った。何にも考えていなかったので、「考えていない」という状態で書き続けている。が、もう思い付いたのでタイトルを変更、クラウドファンディングに纏わる幾つかのTipsを、ここに。 何故、クラウドファンディングでなければならないのか? 「クラウドファンディングじゃなきゃ寄附あつめなんてできない」という訳じゃないのに、じゃあ何故やろうとするのか。という疑問。まずは、クラウドファンディングの仕組みと特長を因数分解してみることにした。 クラウドファンディングと影響力の武器 “影響力の武器――なぜ、人は動かされるのか(著・Cialdini,Robert B)”という書籍がある。これを下地に、先述の事項は考えてみた。こうして全体像を踏まえ、自分の現状を見つめ直すと良い。問うべきは、下記のとおり。 これらの事項を実現することが目標達成のために必要(Must/Nice to Have)かどうか? 他の手段で実現できないかどうか?その時、何を犠牲にすることになり、何がより良いものとなるか? クラウドファンディングの中で、どのサービスを採用すべきか? 一点目は、そもそもの問い掛け。Mustなのか、Nice to Haveなのか、という視点で色分けしてみるとより解像度が上がると思われる。 二点目は、いつも自分でも考えることがある。「クラウドファンディングでなければこれは無理」という事項は幾つか思い浮かぶのだが、それらがMustなのかどうか、というのは悩ましい。「あればあったで、嬉しいんだけど…」という気持ちも残る。 自前の手法を駆使すれば、たとえばリアルタイムに反映される達成率は多少のタイムラグがあったとしても実現できるし、他の事項についても努力次第で既存のクラウドファンディングのサービス以上のものを実現できる可能性があるかもしれない。 ただし、”各種サービスの既存ユーザーに情報発信できる”ことと、”クレジットカード、銀行振り込みなどの寄附経路の豊富さ・寄附のしやすさ”という二点については、自前でどんな手法を使ったとしても敵わないポイントになってしまうかもしれない。幾らか先行投資をしてシステムを整備している団体・組織であれば話は違ってくる

クラウドファディング成功のための連立方程式

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今回の企画 を通して気付いた、現時点での自分の学びを記しておく。それは今後の自分のためであり、これからクラウドファンディングをする人たちにとっては”ひとつの予習”になると思う。無論、これはn=1の経験であって、もっと有意義なことを知る人は自分以外にもいるだろうから、その前提で。 なお、連立方程式、というものは、奥が深い。ひとつひとつの立式が正しくとも、その事象全体を俯瞰してもっとも正しいとされる数値が入らないと成功しない――というところに、“連立方程式”というフレーズの意味がある。「リソースが潤沢で何でもできます」というPJTはこの世に存在しないため、投資対効果をいかに追求できるか、というポイントをどれだけ考え抜けるかが勝負。 また、プロジェクトの開始時までと開始後で、施策の優先順位は変わっていくこともある。短い期間内で何度の効果検証ができるか、それをどこまでフィードバックとして活かせるか、というのも大切なポイントだと自分は思っている。 クラウドファンディングの“Why”を定義する 事業目標の確認の上で、どんなGAPがto be像と現状との間にあるのかを描く。そして、GAPの中の問題・課題を洗い出し、クラウドファンディングで解決したい問題を設定する。数ある問題・課題の総てをクラウドファンディンで解決できるわけではない(無論、そうある企画であればそれに越したことはない)ため、どの部分をクラウドファンディングに賭けるのか、という議論があるべきだ。 既存の無菌室すら、整備のままならない現状 自分のときのケースでは、事業推進のためには新しい無菌室の存在は不可欠であり、患者の数は右肩上がりで増えていた。無菌室を必要とするのは小児がんの患者さんだけではなく、最近は骨髄不全・免疫不全などの難病のこどもたちも含まれる。様々な疾患について治療法が確立されるに伴い、無菌室のニーズは拡大してきていた。 では、どのように無菌室をより良くしていけるか、となる。ヒト・モノ・カネ――こうした資源の中で、ヒトの面では一定水準にあるものの(しかし、これも社会的意義や寄附労働仮説に依存したところがあるため、人的資源は永続的なものではないように思う)、カネという点では見劣りするのが、ずっと小児医療全体の課題としてある。 一般的な総合病院・大学病院と比

深く、長く、続くものを。そして、世の中に広がるものを。

自分で書いたフレーズに、はっとした。というか、させられた。「それって、でもどういうこと?」という気にさせられたのだ。 たぶん、書き出してみて「こりゃ纏まらん」と思ったので、恐らく公開されるタイミングでは完全に殴り書きだが、後で読み返す用ということで。 深く続くものとは? 言い換えると、切実なもの。それは、真理に近しいものではないだろうか。 ”同じ時代に存在する”という絆 助け合い、同じ何かを目指した記憶 自らの/大切な人の危機(救命など)を通して経験したこと、ひと、とき かけがえのない瞬間(「一度きりで終わってしまう」と思わせるような稀少性) 「自分は生きる価値のある人間だ」と思わせられた原体験(自己肯定感、自己効力感) 「自分は、なりたい自分になれる人間だ」と思わせられた原体験(自己実現) 書いてみて、「自分も、そうだなあ」と思う。こういうものを想起させられたり、思い出させたり、そこから今現在に続く人生に何らかの意味付けを考えさせるようなアイデアは、とどけた誰かに”深く”とどくのだ。 長く続くものとは? 下記のとおり。思い付きを、ただ記す。 定期的に起こる出来事 自動的に実現する(してしまう) リソースの調達が苦にならない たのしい、おいしい、うれしい 参加するときの敷居が低く、連帯感を感じることができる どっかで、誰かが、こんなことお話されていたなぁ…でも、こんな詞だっけ…?というのも含まれる。 世の中に広がるものとは? ここにはAIDMAだったり、SIPSのようなものだったりのフレームワークが出てくると思うのだが、ここも考えてみる。 共感される 関係者がたくさん(若しくは、どんどん増える) 社会的な信頼 関わること自体が、自己表現につながる ブランド、憧れ・羨望 今日は、ここまで。書きながら、イメージが湧いてきた。それは地域の『お神輿』。お祭りって、近い。あとは、何かのフェスとか、コミケとか。そういうところに、ヒントが有るのかもしれない。

小人数であっても、尖ったことをしていたい

さいきん飲んだ時に出たフレーズ。僕が話した訳じゃないけど、あぁ、ほんとうにそうだなぁ、と思ったのだ。 尖ったこと、というのは、いろんな定義付けがなされると思う。そこには、きっと”シンプルな戦略(著・山梨広一)”に記されたような戦略があるはずだ。 世の中、聴こえや耳触りの良い話は数あれど。それがごく小さな市場を対象にしたものでスケールしなかったり(市場選択での誤算)、差別化が出来ておらず既存ケースの縮小版のような成果しか出せなかったり(ポジショニングでの誤算)、事業化できるだけのリターン――それは経済的なものであっても、精神的な/従業員の内的な動機付けに資するものであっても良いと思う――が小さかったり(ビジネスシステム設計での誤算)・・・という、様々に存在する落とし穴にある戦略に陥ってしまうと、何も続かない。 戦略とは、こうした構成要素の掛け算で成り立つものであり、ビジネスを描くキャンバスには、常に余白が有る。 じゃあ、何もできない、続かない。そんなことばかりかというと、実際何らかの問題を抱えつつも継続している事業は、この世の中にたくさん存在する。その一方で、どんなに大きな予算が付いても、どんなに大勢の人があつまっても、誰にも知られずに、憶えられずに終わっていく事業もたくさん存在する。 人は、描いたビジョンの歯車でしかないのだが、そのビジョンを描くのも、人。尖った思想というものをビジョンにできるところに、人材やお金が集まるのだと思う。 ”シンプルな戦略: 戦い方のレベルを上げる実践アプローチ”で書かれた、良い戦略の条件は3Cの視点で語られた。 顧客にとってうれしいことかどうか? それは他の会社と違うのか? 自社は儲かるのか? 小さくとも、尖ったことを。尖った部分が選んだ市場にあるのか、独自性にあるのか、リターン調達のシステムにあるのか、そのどれもなのか――もっと、未来志向の発想が欲しい。自分には、そのための想像力が足りない。 深く、長く、続くものを。そして、世の中に広がるものを。