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今年、自分の中で流行った本9冊

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そんなに今年は本を読んでいないので、選ぶのは早かった。 万物の歴史(著:ケン ウィルバー) シンプルな戦略: 戦い方のレベルを上げる実践アプローチ(著:山梨 広一) Lean UX ―リーン思考によるユーザエクスペリエンス・デザイン(著:ジェフ・ゴーセルフ) デザインコンサルタントの仕事術(著:Luke Williams) MBA「つまるところ人と組織だ」と思うあなたへ(著:杉浦 正和) 犬として育てられた少年 子どもの脳とトラウマ(著:ブル-ス・D.ペリ―,マイア・サラヴイッツ) 虐待とトラウマを受けた子どもへの援助: 統合的アプローチの実際(著:エリアナ・ギル) そして生活はつづく(著:星野 源) 東京百景(著:又吉 直樹)

人は皆、何らかの思想の手段として生涯を生きる

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という一面は、あるのだろう。 この考えの背景には、人を、社会の中で何某かの役割と機能(及び、それにともなう責任)を果たす存在として見るという視点があると、推定される。 僕は、自分の仕事を通して、時代の要請に合った成果を残したいと思っている。そのように生きたい、とも思っている。だけど、それが何であれ人一人にできることはタカが知れている。 このところ、死ぬまでに何をやり遂げたいか、とか、人生の目標は、といったテーマから、徐々に離れていく自分を感じる。 それは、就職活動のころ。就職氷河期だったこともあって、「世の中、何はともあれ手に職を付けて、一人で生きていくための経済力につながるスキルを手にしたい」という欲求が惹起された瞬間から始まったものと思われる。「自分の葬式までのストーリーとしての人生」という視点を捨てて、より直截的な生き方にシフトした、と言えるのかもしれない。 刹那主義、と言えるかどうかは疑問だけれど。人生を微分をしていけば、自分の時間の価値が他者のそれと、さほど何ら変わりのないものの様に思う。 そうだとすれば、その時々で大切だと思うことに丁寧に向き合う習慣こそが、使命を果たす近道なのだろうと思う、今日このごろ。

独白

この虚無感は、何なのか 自分はやはり、世の中の底辺に立っていて、ふとした瞬間にそれを忘れて無邪気に生活しているのだけれど、それでも、常にどこかで、さっきまで有ったはずの希望が自分に無かったことに、気付かされる。 そもそも、上も下もないのかもしれない。ただ、自分は下にいる、底にいる、という事実だけは揺るがないまま、今も僕を縛り付けるのだ。 いい大人なんだし、などと考える。 それは、たしかに、そうだ。 気にすんな、などと思う。 でも、これは、クセだから。 底は、暗い。 夜の匂いだけがあって、風は吹かない―明けない宵闇の様だ。 何時か何処かで、人生の何かが破綻して、そしてそれがどうしようもないことで、誰のせいでもないようなことが起こるとすれば、それはそれで幸せだろうか。 分からない。 分からなくても、分かったふりをすれば救われるのだろうか。 それも、分からない。 人の気持ちを踏みにじって、自らの怠惰を赦して、過ちとこれまでを顧みないで、想いも自分を律する姿勢も持たないで、それでいて、崇高な思想の下に、いつか不潔な精神が浄化されて水彩画の様な生命に塗り変えられる、そんな都合のいい瞬間、来るわけがない。 恥を知れ― 僕は、底に捨てられた薄汚い雑巾なのだから。

”チャイルド・プア~社会を蝕む子どもの貧困~”(著:新井 直之(NHKディレクター))

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本書は、2012年10月19日に放送され、大反響を呼んだNHKの特報首都圏「チャイルド・プア ~急増 苦しむ子どもたち~」を書籍化したもので、著者は同番組を担当したNHK報道番組ディレクター・新井直之氏。 読んだ後、正にドキュメンタリー、という感想を持った。それだけの水準の臨場感があったのだ。 それは、現場での取材や聞き取りに時間を費やし、取材先である子どもや教職員・NPO・スクールソーシャルワーカーとの信頼関係を築き上げてきたからこそ実現した番組であり本書だったのだ―そんな道のりが、透けて見えるぐらい。 自分自身「 働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む 」を読んで、 Living in Peace教育PJT に入り、そしてそれなりに結果にこだわってきているつもりだ。 しかし、徹底的な子ども目線を以て社会と向き合っていくには、とてもじゃないけど当事者である子どもとの接点が無さすぎる。だからこそ、施設建て替えによる職員雇用数の向上を通じて、子どもの養育環境を善くする、という投資対効果の高い中間支援に従事している、ということでもあるのだけれど。 当事者である子どもの視点。これを想像力で補うには、彼ら自身の声を聴く必要がある。対面で、一人の人間同士、直接向き合うことで知ることもできるし、既にずっと向き合い続けてきた人の声を聴くことで間接的に知ることもできる。こうした問題意識が、こうした本に手を伸ばさせるのだ。 内容としては、第5章“学校現場の限界”で語られる定時制高校の教職員の声、そして第6章“始まった教育と福祉の連携”で語られるスクールソーシャルワーカーの取り組みが新しいと感じた。特に、未だ知名度が低く成り手の少ないスクールソーシャルワーカーの存在と意義・仕事内容を、ここまで一人称で追った書籍はなかなかないのではないだろうか。 僕の職場のソーシャルワーカーも、「もしまた、自分が就職というタイミングまで過去に戻れるのならば、スクールソーシャルワーカーになりたかったかも」と仰っていた。それだけ、生きがいを感じられる仕事なのだと思うし、また現代で求められている人材なのだと思う。 医療、福祉、保育・教育、そして家庭・地域。子どもを取り巻く環境は様々だ。僕らは、その過渡期に生きている。大人は、子どもの小さな問題・課題

それでも夜は明ける(監督:スティーヴ・マックイーン)

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週末、新宿で映画を観た。大学時代のサークルで出遭った友人と2人、お互いの間に流れた時間の長さに、「きしょッ」と笑いながら。 僕と彼の出遭いから、既に10年以上が経っていた。 『 それでも夜は明ける 』―この映画は事実に基づくもので、主人公のモデルとなったソロモン・ノーサップ(英語版)による1853年の自伝『 Twelve Years a Slave 』が原作となっている。 ワシントンD.C.で誘拐され、奴隷として売られた自由黒人ソロモン。プランテーションで12年もの間、家族とはなればなれになって過ごす、苦悩の連続。 劇中、絶え間なく続く暴力と裏切りに、不思議と観客も“慣れて”きてしまっていたのではないか。そう思えるぐらい、映像はリアリティと歴史性に満ちていた。 ふと、人権とは何なのだろう、と思う。今だって、人種差別はある。特にこの国だと、ナショナリズムをオーバーラップさせたそれで何の疑問も躊躇いもなく見知らぬ他人を傷付ける言論をネットで見掛けたりする。故郷を愛する想いを免罪符にしたそれを正当化するような国であってはならないと、僕は思う。 人権は、人が生まれながらにして持つ権利のことだと云う。それは、精神的な“健康”のようなものなのだろう。しかしそれが損なわれたとき、人は耐え難い苦痛を思い知る。 身体的な健康と精神的な“健康”の相違点は、ただ一つ。身体的な健康は、事故や障がい・疾患によって損なわれる。一方、精神的な“健康”は、自分と同じ「権利」しか持たないはずの人間によって、理不尽に、不条理に、社会的に損なわれ奪われるものであるという点だ。 そして、一度失った“健康”を取り戻すことは簡単ではなく、人の精神は、あっけなく不可逆的に変容してしまう。トラウマの語源は「傷」という意味のギリシャ語だというが、その瘡蓋の下にある傷が完全に癒えることは、ない。 そんなことを考えていたら、「現代における人種差別とは、どのようなものか?」という疑問が沸いてきた。本作は歴史の中にある人種差別だ。じゃあ、翻って現代では?と思ったのだ。 すると、『 フルートベール駅で 』も新宿武蔵野館で上映中との情報を見付けた。これは、行くしかない。知るしかない。誰かの人生を、娯楽としてのみ消費することに、厭きてしまったのだから。

就職活動中の方のための厳選書籍5冊(基礎編)

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就職活動をしている学生の方と話す機会が最近しばしばあったので、ここで「今、推薦するならば?」という問いに応えられる書籍たちを、一度棚卸ししようと思い立った。 という訳で、下記の書籍を読むことをお薦めします。なるべく読みやすい新書を中心に選びました。 20代のための「キャリア」と「仕事」入門 (著:塩野 誠) 著者の塩野 誠さんは、経営共創基盤のパートナー。凄まじいキャリア経歴の持ち主で、昔ライブドアでは、ライブドア証券取締役副社長としてニッポン放送買収案件を担当したこともあったそうだ。 本では、一問一答形式で様々な“キャリア”“仕事”にまつわるトークが、全体俯瞰的でフラットな視点から語られる。尚、塩野さんは東洋経済オンラインで同様の連載を継続中。こちらも歯に衣着せずな文体で、非常に面白いです。 キャリア相談:君の仕事に明日はあるか? | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト 私とは何か――「個人」から「分人」へ(著:平野 啓一郎) 本書は、芥川賞作家である彼の最新作「空白を満たしなさい」で結実した、『分人思想』を一般向けに分かりやすくまとめた本だ。 ざっくり分人思想を説明すると、“一人の人間には、色々な顔がある。つまり、複数の個人(≒分人)を抱えている。そのすべてが〈本当の自分〉であり、人間の個性とは、その複数の分人の構成比率のことである”というもの。学問の世界では、役割的性格/社会的性格、という名称で言われてきた概念でもある。 自分にはいろいろな顔がある。それでは、どんな顔の自分を採用してほしいのか?そんな発想で、自由な自己PRというものを空想してみてはどうでしょう。 疲れすぎて眠れぬ夜のために(著:内田樹) 本書は、社会的・文化的な存在としての人の生きづらさを説明しつつ、筆者と読者との答え合わせをするような内容となっている。 女性にとっては、親子関係とセックス・ジェンダー論の関係性についての記述に、「そうかも」と考えさせられるところがあるのでは?と、男の僕はテキトーに思ったりしてます。 就職活動って、何かと疲れるじゃないですか。学位論文出さなきゃいけないのに研究室休んだり、しんどくても企業説明会に出たり、周りが自分より早く内々定もらってて焦ったり。誰かと会うことすら億劫

“こころをつなぐ小児医療”(著:満留明久)

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著者のプロフィールは下記の通り。ずっと小児医療を向き合ってこられた中で、後進の育成に資する執筆活動をしたり、社会養護の分野でも里親のためのコミュニティ「子どもの村福岡」を立ち上げたり―と、非常に社会性あふれる医師の一人だ。 福岡大学名誉教授。国際医療福祉大学大学院教授。国際医療福祉学院学院長。医学博士。教育と医学の会理事。専門は小児科・小児神経学。 1939年鹿児島県生まれ。1965年九州大学医学部卒業。1970年九州大学病院小児科助手。1975年福岡大学医学部へ。同大学医学部講師、助教授を経て小児科教授。1997年福岡大学病院副病院長、2001年同大学医学部長。2006年3月福岡大学退職、同年4月より現職。2006年からNPO法人子どもの村福岡理事長。 本書は、後進の育成を目的として学内広報誌で寄稿した文章をまとめた一冊である。ひとつひとつの文章は短いものの、しかしその中でふれられる医療の現場の人間ドラマには考えさせられるものが多い。 印象に残った内容をピックアップする。“患者さんは何を求めているか?”をまとめると、下記の通り。 苦痛を取り除いてほしい 障がいを除いてほしい 命を救ってほしい 救急、救命の願い こころを支えてほしい 行動を変えてほしい(行動変容) 子どもとして成長させ、発展させ大人になるために必要なこと(子どものニーズ)を満たしてほしい また、下記の“障害を持つ子どもの親の心理的反応”は、末期・終末患者の心理状態を研究したキュプラー・ロスの 死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫) をうけて小児医療の研究者が改変したもの。この辺りの想像力は今後大切になってくるだろうから、忘れぬように、ここに記す。 第一期:ショック―この世の終わり、崩れ落ちるような感情の反応、感覚脱力感、無力感、よく泣く、どうしようもない気持ち・逃げ出したい衝動 第ニ期:否認・否定―「自分の子がどうして、なぜ?」「そんなはずがない!」doctor shopping、宗教・慈善事業への関心 第三期:悲哀と怒り、不安―怒りっぽくなる(誰にでも、特に医療従事者への攻撃)、子どもが/夫が/自分自身が憎い、自分の責任、子どもに愛着を感じることに躊躇う 第四期:適応―不安と情動の不安定さが薄れ、立場を理解・子どもを受け入れる、世話ができる、子どもと同一化

ロジカルシンキング修行のための厳選書籍5冊

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僕が新卒でコンサルティングファームに入って良かったな、と思うことの一つは、「考えるということ」に興味が湧いたこと。人が思考する、その目的とプロセスをどのように設定すべきか?というテーマを追求することで、自分自身の仕事の仕方を定期的に見直すきっかけになったことだ。 そこで、ふと想い起したように読み直すことの多かった書籍たちを、一度棚卸ししようと思い立った。 (ただし、ここに書かれる内容の本を読む前に、 この本 を読み込み、実践することの方が遥かに重要であることは暗黙の了解、という奴だ) イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」(著:安宅和人) ここに書かれている内容が、ロジカルシンキングの全体像である。 バリューのある仕事を生み出すには「根性」に逃げ、「犬の道」を通ることの無きよう、正しく、何がイシューなのかを“見極める”ことが第一。すなわち、仕事の目的・人が思考することの目的とは何なのか?を、まず第一に考えよ。と、著者は本書で(何度も)主張している。 マッキンゼーで有名になった“空・雨・傘”のプロセスを知る上でも、とても分かりやすい文章だ。 入門 考える技術・書く技術(著:山崎 康司) 著者は、ロジカルシンキング・ライティングの古典ともいえるバーバラ・ミントの「考える技術・書く技術」の日本語版翻訳者。ここで、原典の「考える技術・書く技術」ではなく“入門編”を持ってきたのには訳がある。 単純に、僕には原典で言っている内容がよく分からなかったのだ。ざんねん。 一方、こちらは簡易な日本語で、分かりやすい。しかも、「日本人は何故ロジカルになれないのか?」という問いに答え、日本語特有のロジカルシンキングにおける落とし穴の見える化とその解決策を示されているところが、とても良かった。 佐藤可士和の超整理術(著:佐藤 可士和) 仮説が大切、仮説検証が大切、仮説仮説…というお話の前に。人と話すこと、コミュニケーションの大切さを知っておくと良いだろう。 パッと見、「・・・ロジカルシンキングじゃ、ないんじゃないですか?」という本の様に見えるが、これはれっきとしたロジカルシンキングの本であり、コミュニケーションの本である。 特に、仕事で「ヒヤリング」「インタビュー」といった作業をする人、転職

“正しい判断は、最初の3秒で決まる 投資プロフェッショナルが実践する直感力を磨く習慣”(著:慎 泰俊)

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最近、この本を再読した。 著者は、慎 泰俊。プロフィールは下記のとおり。 1981年東京生まれ。朝鮮大学校政治経済学部法律学科卒,早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了。モルガン・スタンレー・キャピタルを経て,現在はPEファンドの投資プロフェッショナルとして様々な事業の分析・投資実行・投資先の経営に関与。 仕事の傍ら,2007年にNPOである Living in Peace を設立し,カンボジアやベトナムなどで貧困層の金融へのアクセスを拡大するために日本初の「マイクロファイナンスファンド」を企画。国内では,児童養護施設向けの寄付プログラム「チャンスメーカー」の実施および子ども向けのキャリアセッションを行う。 最近だと、講談社が運営するWebメディア・現代ビジネスで“ プロフェッショナルの作法 ”という対談企画を絶賛連載中です(因みに、第一回の田原総一郎さんとの企画では「ジャーナリズム」という仕事にプライドを持つ彼の矜持が丁寧に書かれていて、凄く面白いです。ぜひご一読を)。 さて、本書のレビューに入ろう。何よりも僕がまず第一に言いたいのは、そのタイトルからは想像できないほどに内容は学術的で実践的であるという事実だ。プロフェッショナルとしてのキャリアに憧れ目指す、すべての人に読んでもらいたい内容になっている。 僕の気づき・学びをまとめると、直観的な思考を磨き上げるために必要な営みとは、下記のようなポイントに集約される。 倫理に基づいた信念の言語化 「何としても成果を出す」という信念の内面化 信念・経験の投影する直観に基づいた適切な仮説の設定 経験に基づいた仮説の検証(ただし、必要に応じて専門家・他者にヒヤリングすること) これらを支持する組織的なシステム・環境の整備 特に、『経験に基づいた仮説の検証』―ここで行われる仮説の検証に注意すべきだ。何故なら、立てた仮説の質の度合いによっては、本人が全く想定していなかったような結果を解釈しきれないケースがあるからだ。 そのとき、『必要に応じて専門家・他者にヒヤリングすること』の効力が発揮されるのだと考える。自分一人の頭で解決できない問題は、他の人の頭を借りるべきだろう。そして、その頭は自分のそれよりも発想豊かで経験豊富で、賢いものであるべきなのだろう。 何でもかん

“ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング”(著:赤羽 雄二)

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著者のプロフィールは下記の通り。 コマツにて建設機械の開発6年、スタンフォード大留学を経て、マッキンゼーにて14年間、経営戦略立案・実行支援、新組織設計・導入、新事業立ち上げなど多数。 シリコンバレーのVCをへて、2002年1月創業の ブレークスルーパートナーズ にて、日本発の世界的ベンチャーを育成すべく、ベンチャー支援に取り組む。ブレークスルーキャンプ by IMJ 運営統括。 僕自身、 スローガン の学生向けセミナーで一度お話を伺ったことがある。 そこでは流れるように こちら の資料を説明され、その後「どうしたらブレイクスルーできる人材になれるか?」という学生の問いに、本著の内容をかい摘んでご説明された。 メモ書きを続ける。その効果・効能を信じるものもいたし、継続しない人もいた。僕は、結局は3日坊主で終わってしまった。 しかし、そのことを現在は非常に後悔している。何故なら、今はその価値をしみじみと実感する毎日だし、もう“書きまくるしかない”状況からだ。 人は、自分の思考を書き出すことで初めて頭を整理することができるのだと、僕は考える。つくづく、その通りだと。赤羽さんはこう言う。 時間をかければ考えが深まるとは限らない―努力をしていない人間には、考える時間の長さとアウトプットの量・成果はほとんど比例しない。   できる人、優れた経営者は即断即決―普段からその問題について考え、情報収集を怠らず、常に仮説を持っているからだ(本文より筆者サマリ) 厳しいかもしれないが、実際そうである(というか、僕の経験ではそうであった)。考えている、という状態は、空・雨・傘の中の“雨”・“傘”について新たな考えを提示することであり、“空”の情報収集に充てている時間のことではないのだ。ここを穿き違えると、その人は「悩むだけで何もしていない、ただの給料泥棒」になってしまう。 問題解決に取り組むためのステップとその状態にある人のステータスをまとめると、下記のようなものになる。問題解決へのフローとはここまで因数分解されうること、そして自分の課題意識をどこに向けるべきかを知った以上、貴方はこの本を読むしかない (ステマ…‼!) 。 感情が湧き起こる―感情を殺している人、考えてない人 考えが浮かぶ―普通の人、一般の

“Lean UX ―リーン思考によるユーザエクスペリエンス・デザイン (THE LEAN SERIES) ”(著:エリック・リース)

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これは、“買い”である。 そもそもの、本書に向けられた僕の期待値は、非常に高かった。 昨今のリーンだストーリーだスクラムだアジャイルだといった流行の中、玉石混合の方法論やケーススタディがそこら中に散らばっていて、「うーんそれってリーンなのだろうか…」という疑義を持ったとしても「というか、そもそも僕の中の“リーン”は真に“リーン”なのだろうか…?」という哲学的な問い(=つまり良く分かってない)にふと立ち戻ってしまう―という行ったり来たりを繰り返していたからだ。 昔読んだ リーン・スタートアップ も、「柔軟に素早く回すPDCAサイクルの大切さ」が文章全体の趣旨だった、と記憶している (違っていたらごめんなさい) 。 そこで登場したのが本書である。泣く子も黙る (かもしれない) オライリー本の最新作として現れ、たったの150ページにもかかわらず(!)2,200円(!!)という歌舞伎っぷり。 実際の内容は、期待を超えるものでした。僕個人は、特にLean UXのプロセスについて語られた章立ての「課題ステートメント」「仮説ステートメント」「プロトペルソナ」「機能」という一連の流れに深く肯かされた。全く以て、このLean UXは成果重視型のフレームワークであり、これを実践できる組織がどれほど強いかを想像させるに十分な内容だった。 詰まるところ Lean UXとは、「“ユーザーの問題解決”を目的に定め、適切な手段を選び取る」思想 のことなのだと。僕は、理解しました。 その内また、読み直します。きっと、また新たな発見が待っていることだろう。

“「世界をよくする仕事」で稼ぐ― 三菱商事とドリームインキュベータで学び、サイバーエージェントに1億円で事業を売却した僕の働き方”(著:大澤 亮)

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エシカル消費という生活者の消費スタイルが 徐々に我が国にも定着しつつある昨今、HASUNAを初めとした様々なベンチャー企業がエシカル(≒倫理的な)志向を打ち出し、新しい様式のスタイル・ファッションを提供している。 そんな中、著者は慶応義塾大学経営管理研究科修士課程(MBA)修了・在学中に証券会社の比較サイトを立ち上げ、米国Gomez社に売却(2000年)、そして中国茶のECサイトを立ち上げ、サイバーエージェントに売却。その後ドリームインキュベータのビジネスプロデューサーを経て土屋鞄製造所に取締役として入社(2009年退社)。 現在は”えらぼう地球貢献”をスローガンに国内外のエシカル・ファッションブランドの普及を図るPiece to Peaceを設立、代表取締役に就任している。 Piece to Peace公式オンラインショップ 内容のほぼすべてが著者の実体験から来るもので、そのあふれんばかりの臨場感から一気に読むことができた。高校時代の同期にはTABLE FOR TWO代表 小暮 真久氏もおり、彼の存在が事業展開に一役買っているとのこと。尚、ドリームインキュベータ、土屋鞄の辺りは「え、そこまで書いちゃって良いの?」というぐらい事細かに筆が尽くされている。コンサルティング、事業経営の実際を少しだけ垣間見ることができる。 彼のキャリアを、ひとことで表現するならば―“与えるところから、総てがはじまった”そんな人生のようだった。 また、下記の図は本書の中にあるPiece to Peaceの事業ポートフォリオを表でまとめたものだ。自分自身の後学のため、ここに残す。